窪田建設のヒデ社長-ここだけの話

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■富岡製市場②

こんにちは。
「富岡製糸場」前編のご報告は如何でしたか?

今回は後編です。

前回お伝えしたポイントを思い出してください。

①なぜ富岡に?

②どんな特徴の工場?

③どんな人が指導者だった?

④建物の工法は?

⑤女性が仕事に従事するとは?

以上の5点。

それでは、①なぜ富岡に?についてお話します。

この時代は、富国強兵、殖産振興が重点施策でしたね。
その中で「生糸の輸出振興と品質向上」が主な政策の一つでした。
しかし、残念ながら外国からのオファーが急増したことで、粗悪品を作ってしまい信用が急転直下してしまったのです。
そこで政府が模範的製糸工場をつくる方向で進めたのです。
その結晶が「富岡製糸場」だったというわけですね。
また、富岡に製糸場をという理由ですが・・・

・繭が確保できるところ ・広い土地が確保できるところ ・水が確保できるところ ・燃料としての石炭が用意できるところ

以上が条件でした。その条件をパスした場所が富岡だったというわけです。

②どんな特徴の工場?ですね。

・様式の製糸器械が導入されていた。

・外国人を指導者とした。

・全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り地元の指導者となる。

③どんな人が指導者だった?ここが面白い。

工場を建設するための指導者は、フランス人のポール・ブリューナ氏です。
彼は、建設地の選定から技術者をフランスから呼んだり、様式の器械を日本人の体系に合うよう発注し作らせたりしました。

④建物の工法は?フランス式+日本式の混合工法だったようです。

木材で建物の骨組み部分を構成し、柱の間の壁はレンガを積み上げました。
こういう姿かたちの工場は、かなり珍しいということです。

⑤女性が仕事に従事するとは?

まず、社会で働く女性(職業婦人)モデルの第一号というようにも言われたようです。
ここで、得た技術を生まれ故郷の工場に戻り指導者となって器械製糸工場の発展に大きく貢献したといわれています。

如何だったでしょうか?

今回は、写真の説明を省きましたがご容赦下さい。
なぜなら、文章が長くなりすぎでしまうからです。

もし、ご興味を持っていただけたとすればご自身で訪れてみてください。

※ 白い構造が入り組んででいる写真は、工場そのものです。
  木造トラス構造により大きな空間を確保することに成功したということです。

富岡製糸場②.jpg

過日、絹の街保存会の文化遺産利用計画検討委員会で、長野大学の前川先生から以下のようなMAPをいただきました。

頂いた委員会メンバーは大絶賛。
こういうものが無かった。素晴らしい。拍手喝采でした。
もし、ご興味がありましたら問い合わせてみてください。
本当にコレは素晴らしいMAPです。

※ 前川道博長野大学准教授のブログをご覧下さい。(↓)

⇒◆ミッチーのブログ:蚕都上田の話題
 http://sns.orahonet.jp/blog/?key=1143&cid=59

⇒◆ミッチーのブログ:桑園を探せ
http://sns.orahonet.jp/blog/?key=1143&cid=78

蚕都上田MAP.jpg

 



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■富岡製糸場①

ついに訪れることができました。
念願でした。
もしかしたら来ることは無いとも思っていました。
しかし、念ずれば・・・・

こんんちは。
前回から歴史を探るという感じで「真田太平記館」「坂本龍馬&三吉慎蔵」「河合邸(武家屋敷)」「梅花幼稚園&清明小学校」それから・・・・ヴィンテージハウス。
興味深い数々の建物や物語を楽しんできました。

さて、今回から2回にわたって群馬県富岡市の「富岡製糸場」のご報告です。

ところで、唐突過ぎたり話に無理があると承知で最初にお伝えしたいDVDがあります。


silk.pngその名はズバリ『SILK』です。
この映画に登場する日本人として有名どころ「役所広司」「中谷美紀」。
物語は、何とフランスと日本とを蚕種で結ぶ恋物語。
何と日本の舞台は、ご当地信濃地方なのだそうです。
これは、必見!
ご存知のように養蚕はフランス・イタリアなどでも盛んだったようです。勿論、シルクロードのある中国はその発祥の地とも言われています。
疾病の蚕に悩み異国「日本」に渡る主人公。
この歴史は、事実だったようで日本が横浜を窓口とし、世界に羽ばたくきっかけとなった時代が舞台です。しかし、中身は恋愛もの。
そこが、今回の「富岡製糸場」とちょった主旨がちがってしまうのですが、一応この「SILK]というDVDをご紹介しておきます。

 

さてさて、お話は「富岡製糸場」。
今、ユネスコ世界遺産登録に県を揚げて厚くなっているとのことです。
明治5年に明治政府が日本の近代化のために最初に設置した製糸場だそうです。
建物は、以前倉敷訪問のご報告をしたと思いますが、コチラと似ているつくりで驚きました。
赤いレンガと木造軸組み工法で大きな空間を確保するために木造トラス構造。
300百人規模の工場だったそうです。

富岡製糸場①.jpg

写真でご覧頂いているのは、受付入り口から見学できる建物です。
赤レンガが印象的で素晴らしいと感じられますが、このレンガの積み方はフランス地方のフランドル積みというのだそうです。
長いレンガ+短いレンガの連続で積み上げていきます。
但し、強度的に問題があるとされ大きな東繭倉庫向かいの検査人館(3号館)では、長いレンガ+長いレンガ+短いレンガというように積み方が変わっています。
これはイギリス積みといわれていて強度を考えて変更したとのことでした。
東繭倉庫は、入り口正面に位置し1階は売店と富岡製糸場全体を説明する場所となっていました。
入館料は500円(大人)。
駐車場が少ないので事前にチェックしておく必要があります。
余談でした。
東繭倉庫真ん中の通路を潜り抜けると左に乾燥場があります。
繭をここまで持ち込みベルトコンベアで繭を運び入れるような方式になっていました。
写真の一番下の左の写真は、東繭倉庫の南方向から見た姿です。また、その横の写真は、女工館(2号館)で、嘗てはフランス人の女性技術者の宿舎として建てられたようですが、後に様々な用途に改造されてきたということです。

ワクワクしてくるような物語が沢山ありそうです。
歴史と人が織りなす世界とは真実であるがだけに面白さがあります。
人が何を考えてきたのか?
人間関係は?
到底なしえないと思われることを達成するパワーとは?
とにかく面白いですね。

 


次回は、この続きです。次回のポイントは・・・

①なぜ富岡に?

②どんな特徴の工場?

③どんな人が指導者だった?

④建物の工法は?

⑤女性が仕事に従事するとは?


 



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■河合邸から清明小を通過して!

河合邸の2階から見える上田城跡公園前の道は、桜が三分咲きでした。
来週かな?満開はね。
そんな独り言をがつい言葉に出てしまいましたが心は晴れ晴れとした心情となりました。
さて、私は「河合邸」を後にし通称「池上正太郎会館」前に車を止めた駐車場に向かおうと思いました。
丁度そのとき近道はと考えると「清明小学校」が目に入りましたので、駐車場の係りをしていたボランティアらしき方に清明小学校を突っ切っていいのか確認するとok.
早速、体育館とプールのある側から侵入しました。
赤レンガの壁と使い古されたであろうシンプルな無垢板でできた下駄箱の写真が写されていますが、コレが体育館の入り口の壁です。
ヴィンテージは、時間の重さと味わいや懐かしさや思い出が感じられて胸が厚くなる思いがします。
「あぁーーーーいい雰囲気だなぁー」とまたまた声に出してしまいました。
校舎に入るための通路(鉄筋コンクリート造)らしき部分も写真で確認できると思いますが、これも子供達の声が聞こえてきそうな気がします。

清明小学校.jpg

実は、清明小学校に向かう途中にあった古い使用されていないと感じられる木造の小屋のような建物を見ながら歩いてきました。
一見ただの古ぼけた建物。
しかし、やはり新しいものには無い味わいが漂い、ついついシャッターを押していました。
清明小学校の校庭端には、桜が咲いていました。
ピンク色が丁度良い濃さで青空とコラボしている様子が心を弾ませてくれた気がします。
私は、ここを静かにはなれ微笑ましい風景にほのぼのとした心持を楽しんでしまいました。
予期せぬ訪問であった清明小学校の風景に酔いしれながら駐車場へと進めました。
すると・・・・またまた、ヴィンテージハウスを発見!
これは、昭和30年代か40年代に建てられたであろう今で言うデザイナーズハウス。
こういうデザインも確かにあったなー!
しかし、流行というデザインは長き時代のなかで埋もれてしまい当時の輝きは過去のものであることを感じてしまうのは不思議なものだ!
むしろ、駐車場から向かう途中にあった「梅花幼稚園」の建物は、当然もっともっと古い建物であろうが、味わいは新築以上に素晴らしいと感じました。
「河合邸」も「梅花幼稚園」も「清明小学校」も「ビンテージハウス」もお陰さまで味わうことができました。感謝!感激!感動!でした。ご馳走様でした。

さて、次回は、何と「富岡製糸場」のご報告。
突然と思われたらすいません。
実は、私は「絹の街保存会」で「文化遺産利用検討委員会」の委員長をしています。
上田の製糸・養蚕・蚕種・蚕糸などと関連のある文化遺産を学ぶ必要があるのです。
だから・・・というのはかっこよすぎますので正直言いますと古い建物を見たり、その背景にあった時代や人に興味があるからです。


では、次回をお楽しみに・・・・「富岡製糸場」ですよ!


 



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■河合邸 & つるし雛 見学!

おまたせしました。
「河合邸」と「つるし雛」の見学した感想やご報告です。

写真を沢山掲載してみました。
少しでも雰囲気が伝わればという思いの表れです。
武家屋敷という雰囲気など伝われば幸いなんですが・・・
写真の腕は私ですからイマ三ですが、感じはつたわっているでしょうかね。
この住まいは、実際に住まわれています。
そこを開放してくれましたのでラッキーでした。
いつもは開放なんてしてくれないのですよ。
だからこそ、どうしても見たかったんです。
つるし雛も沢山飾られていました。
このヴィンテージ感とのコラボレーションは最高です。
どうしても写真を撮りたくなるの解りますでしょ。
訪問者も沢山。丁度上田城跡公園の桜の見物客もいらっしゃったので混んでいたのでしょう。

まだまだ、本格的に桜見物はもう少し先になりますでしょうか?
たぶん17日18日の土日など最高じゃないでしょうか?

河合邸.jpg

もし、ご見学をご希望であればお急ぎくださいね。(4月18日まで-上田城跡公園の向かい)


 ※ 次回は、清明小学校から・・・・・始まります。




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■上田市の観光ポイント

ただ今現在ですが上田市の真田太平記館(通称:池波正太郎記念館)では、坂本龍馬&三吉慎蔵の関係を記したフェアが開催されています。
坂本龍馬といえば知らない人など居ないほど有名ですし、NHK大河ドラマで放映中のタイムリーな企画です。
しかし、意外と知られていないのが三吉慎蔵が坂本龍馬の親友であり護衛官のような人であったということ。
では、なぜ三吉慎蔵が・・・坂本龍馬を上田の地で・・・??
三吉慎蔵の長男は三吉米熊。
つまり、上田東高校の創設者。
そんな関係から様々な文献や手紙などがこの上田の地に残っているのです。
例の「寺田屋事件」などを記す文や三吉慎蔵を信頼していたことを証明する手紙なども展示されていました。

上田市中心.jpg

それだけではありません。
真田太平記館の道を挟んだ向かい側にケヤキの案内看板があります。
こちらは、当社がつくりました柳町への誘導看板。
こちらも是非一度くらいは見ていただきたい気がします。
この後、上田市では有名な武家屋敷であり日本で初めて薬局を開業したとされる「河合邸」に訪れました。
こちらでは、現在「つるしひな」を展示していると新聞で見たので建物とつるしびなの両方を見学に行ったのです。
その途中にある「梅花幼稚園」。
こちらは、古くて有名な幼稚園。
建物のヴィンテージ風情はたまらなくノスタリジーな感じです。
せっかくなにで写真に収めてみました。
いいでしょぉー。

次回は、この続きです。

そう「河合邸」と「つるしびな」をお届けします。



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