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■地震発生時に・・・私は・・・
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さて、たった数十日の間に「宮城県」と「福島県」とで炊出しの振舞い支援を行ってきた。 キッカケは、どちらもちょっとした事からだった。 一人では、幾らいきまいたとしても無力だ。 同じような思いでいる仲間や有志の人たちが思いを共有できたから実現できたことだ。 日々情報は色濃くなる。 危険性も正直感じられるような事態。 高速道路も一般車両が走れるような早期に道路の修繕が行われた。 しかし、放射能についての報道は繰り返される。 半径30km以内についての危険度は計り知れない気がする。 しかし、復興支援は手を緩めるわけには行かない。 日本中が、どこなバランスを崩してしまった気がする。 我々の業界も材料の流通が不安定になっている。 材によっては、いつ改善されるのかさえ疑う。 では、今回のミッションで体験した震度5強の話をしよう。
以外に消灯時間は、早かった。 しかし、その消灯時間前に我々が宿泊させて頂いた部屋の照明は夜8時には消えていた。 我々は、福島県相馬市の総合福祉センターはまなす館の昼間は憩いの場として使用されているであろうTVやテーブル、イスのある部屋に宿泊した。 ここは、我々が到着するや否や案内された部屋だった。 建物は意外に新しい感じの立派なものだった。 入り口のドアから中に入ると大きく広いロビーが広がる。 そこには、被災者の方々がいた。 挨拶をしながらホールをつきぬけ右手に広がる廊下を進む。 するとガラス張りの憩いの部屋らしき中に案内された。 廊下には、支援物資が高々と積まれてあって物資はある程度満たされているように感じた。 我々が部屋の中に入ると床には幾つかの布団が敷かれたままであり、その上に被災者の方々が座っていたりした。 どうやら、この部屋を寝室代わりにしている方が何人かいらっしゃるのだろうと直感で理解できた。 テーブルが置いてある。 結構おおきい。 「この机を移動してもいいですから」 「自由に、どこでも好きなところに宿泊してくださいね」 親切な被災者の方々だと思った。 廊下にあるダンボールの中身は、毛布などだから使っていいといわれた。 幾ら寝袋だからといって床直に寝るのはさすがに抵抗があると思った。 そこで、床にダンボールを敷いたり、ブルーシートを敷いたりした。 その上に毛布を何枚か重ねて敷いた。 その上に寝袋を置いたのだ。 概ね準備はできた。 実は、前回の教訓として準備してきたものがある。 それは、イヤホーン。 ipadを持参しfacebookで仲間に情報発信。 夜は、音楽を聴く。 だから、イヤホーンが必要だったんだね。 つまり、イビキ対策。 ダッセンしました。失礼。 実は、さすがに夜8時には寝られない。 そこで、しばらく玄関付近で夜風に当たっていた。 家族のこと。 お子さんが入院していたこと。 今尚、退院できないケガである事情。 この場所に来る前は、病院の待合室のイスに寝ていたこと。 お金が無くなってきて困ったこと。 そして、この避難所に移り今ここで暮らし手いること。 夜遅く、ボランティアの人がトイレ掃除をしてくれていること。 ボランティア中学生などへの感謝の気持ちでいっぱいであること。 本当に本当に支えあって生きている現実への感謝。 これから船の借金をどうするか? 家も無くなってしまったので仮設住宅を待つ暮らし。 長々と語ってくれた。 そして・・・ 「笑うしかねぇーよ」 そういって建物の中に入っていった。 それから、私も寝袋を設置した部屋に帰り、何とか寝るよう努力をした。 イヤホーンでは、対応できないほどの大勢の寝息やイビキは想像以上。 更に床が固くて痛い。 枕も無い寝心地の悪さ。 私の横には、1つの家族が既に床に入っていた。 若いご夫婦と3歳くらいの女の子とお爺ちゃん。 音をあまり立てては悪いと思い静かに静かに寝ようとしたが、そう簡単には眠りに付くことはできない。 何度も同じ曲を聴きいた。 いつしか何となく記憶が遠のいた・・・頃・・・・・
「ママー・・・ママー・・・◎×▲□◆*・・・」
この声で浅い眠りからなぜか目覚めたとっ!思った瞬間。
グラグラグラー カタカタカター
細かく、縦に、かなり早いスピードで地震がきた。 すると被災者の方々は、身支度をして立ち上がった。 これは、津波の経験者だからの行動の早さだろうか。
正直、これはヤバイ揺れだぁーと背筋が寒くなるのを感じた。
そりゃーそうだ。 こういう揺れを経験したことは無い。 新潟中越地震も東日本大震災も私は会社にいた。 その揺れは、しっかりと体に刻まれている。 しかし、この揺れはまったく違う。 小刻みにかなり早く揺れた。 「えっ えっ えっ ・・・」心の中で無意識に言っていたと思う。 部屋が明るくなった。 そして、すかさず "TV" が付けられた。 画面では、宮城県で震度6強と報道され相馬市は震度5強といっていた。 情けない話だが、宮城県仙台市で宿泊したときに寒さ対策を完璧にしたがために寝袋内で汗をかいて深いだった。 結構、苦痛だったという経験をしたのだ。 だから、今回はズボンを脱ぎパンツ一枚で寝袋に入っていた。 実は、これが仇となった。 この揺れを感じることは早かったが、部屋が明るくなり隣のご家族の前でパンツになる勇気がない。 私だけ寝袋に下半身だけ入った状態で目を丸くしたり、白黒したりだった。 「怖い。でも・・・・パンツ姿ではさすがに失礼だろう・・・・」 「隣の奥様に特にこの姿は失礼だ」 心の葛藤があった。
しかし、そうこうしていると揺れも静まりTVでも緊急性は宮城県沿岸部であることが告げられ、安心したのか館内アナウンスで部屋の明かりを消すように伝えられた。
実は、この瞬間に・・・・ 「大丈夫か・・・」宮原さんからショートメールが入った。 この人の思いやりの大きさに胸が締め付けられるような気がした。 上田商工会議所の建設業部会のペースメーカーだ。さすがだなーこの人は。 私も直ぐに安心させなくてはと思い「ありがとうございます。大丈夫です」と返信した。 私も家族にメールを入れ安心するように伝えた。 確かに長野県にいる仲間や家族はさぞかし心配しただろう。 こんな経験は、誰だってしたくない。
地震の凄まじさを物語っていたのだ。
これが、私が経験した震度5強の世界。 話が、長くなってしまった。
そして、私達支援隊は現地に連れて行かれた。 それは悪夢の世界を体験することだった。 瓦礫、また瓦礫・・・・あたり一面に広がる景色。 永遠と広がる元住宅街だったという海水の水田風景・・・ 警官と県外消防署員、自衛隊と何かを探し回る被災者らしき人たち・・・ 衝撃が大きすぎて、目の前で起きてしまった現実を受け止められない心境・・・ 自然とは、私達に何を伝えようとしているのか。 便利で快適な暮らしを追求しすぎたのか・・・・・ 言いようの無い思いが心の中で何度も何度も繰り返された。
そして、皆で支えあうことの大切さや感謝の気持ちを思いだそう。 人は、元来一人ではない。 人は、皆助け合って生きなければならない弱いものだ。 独りよがりで生きられるわけが無い。 人を信じていく。 それが、今大事なことなのだ。 自分に何ができるのか? もう一度、自問自答した。
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■独鈷山登山道の整備
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「窪田さんに4月3日に登山道の整備にきてほしいんですけどぉ~」
そんな電話を貰っていた。
電話の主は、同じ自治会の班選出の事業委員Hくんからだった。
決行の日が、やってきた。
朝8時30分に公民館にみな集まった。
実は、平井寺自治会は昔から独鈷山登山道入り口の自治会。
上り口は、当然他にもあるのだが、上りやすいという評判から我が自治会から上るのがBESTとされている。
しかし、写真をご覧の通り急傾斜だ。
私たちは、階段のようなものを幾つも作ったり補修したりした。
杭を打つ。
直径15cm位の立木を切り、階段部分の材料にした。
また、長い杭は、ロープを張るときに使った。
場所によってはかなりキツイ勾配があったり、落下したら大変だという箇所もある。
なにより、まだこの日は雪があったりして足元もおぼつかない。
実にこの登山道整備に選出された勇者達は、自治会内でも若手といわれる人たちばかり。
この日、古川神社の草刈や整備も同時に行われたが、コチラのメンバーは高齢チームだったらしい。
ということは、私も若手?なんだと気をよくした。
ところが、4月1日の被災地支援チームの支援物資積み込みを手伝って腰を痛めていた。
正直、登山道整備の足手まといになってしまうのではと心配しつつ、今更断れないし・・・・というような心境での参加ではあった。
確かに精彩を欠き参加者の若手に依存している自分も情けなかった。
但し、ロープはりについては、たぶん私の技術が光っていたかもしれない。
その理由は、トラックに積んだ荷物をロープで締める技術を2種類習得していたからだ。
しかも、2つの内1つは皆がやっている方法だが、もう一つは昔トラックの親方に教えていただいた方法だ。
これは、以外に知らない。
そんな知恵が生きた。
お陰さまで、頂上近くまで予定通り整備できたが、雪がそれ以上は我々を阻み断念してきた。
独鈷山登山は、塩田公民館行事として毎年行われる。
5月の連休中に塩田に住む親子など参加して、平井寺登山道入り口から登るのだ。 素晴らしい登山となることを祈り我々は下山した。
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■仙台、福島、気仙沼へ支援物資を!
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新たなチーム出発に向けて、資材の積み込みやトラック運搬のお手伝いを行った。 今回のチームリーダーである隊長は青年会議所で共に汗した城下。 彼は、上田商工会議所の工業系の部会長でもある。 上田市長のメッセージも届ける重要な任務を背負う。 出発は、3月2日午前5時。 道中の報告は、facebookで随時行ってくれた。 昨日も仙台での活動報告を受けたが、どうやら物資はダブツキ気味のようだという。 しかし、個人宅にいる方々は物資が届くのは最後らしい。 憤りを感じるようなコメントが書かれていた。 今日一日を精一杯に努めて無事帰ってくることを祈っている。 城下頑張れ!今回もやはり上田青年会議所で一緒の田中君も参加している。 二人とも頑張れ!
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■高崎のビスコッティーへ
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それも朝から。 珍しいことだ。 ・・・・・・・・・・・・ 誰もがきっと3月は、慌しいにちがいない。 なぜなら、卒業式、入学式の準備、進級前の準備・・・・ 引越しの人も居るだろうか? 季節も実質上「冬」⇒「春」という感触を何となく味わう。 個人的なことだが、被災地もでかけて応援を少しばかりだが行ったせいか季節感や3月の意味合いも忘れかけていた。 前もって上田市建設業協会で予定していた千曲川のクリーンキャンペーンも慌しかったが実施、参加した。 3月の末ではあったが、以前から気になっていた高崎市にある雑貨ショップ「ビスコッティー」に出かけることにした。 ちょっとした気晴らしというよりもエコットモデルハウスなどで使用しているようなバーツを少し購入するために出かけてきたのだ。 外観は、住宅街に建つディズニーランドに建ち並ぶような建物。 外壁のムラが面白い。 古びたようなテイストに仕上げているのだ。
スイッチプレート2つと扉のツマミ。
スイッチプレートは、陶器のもの。
ツマミはアイアン製。
少しサビたような仕上がりになっていて使い古されたような味わいのあるもの。
住まいも各パーツを変えたりすると表情が変化して生活にも潤いが。
やはり、自分流というのがいい。
人に委ねるより自分流に表現する。
別にお金を沢山使えばいいという嗜好ではない。
むしろ自分を表現することが大事。
例えDIYショップで売られている陶器のツマミだってかまわない。
そこに拘りを持つことこそが楽しい世界なのだと思う。
雑貨なども同じ。
別に無ければ困るという代物とは違う。
あることで、生活に潤いや表情を加えることができることへの喜びなのだ。
四季折々や飾るコナーを設置したり、棚を用意したり、ニッチを事前に作っておくなどもいい。
部屋という箱がどれだけ広ければいいという世界の話とは違う。
小さな部屋とかいう事前の話ではない。
僅かなスペースを用意できるかということだ。
また、そのような場所をつくるという話だ。 高崎のビスコッティーは、そんな自宅の表情を豊かにしてくれるパーツを用意しているお店だ。 もし、遠くだなーーーーーーと感じない人は、行ってみてはどうだろう。 そして、自分の家を自分流に変えてみてはどうだろうか。
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■千曲川のゴミ拾いボランティア終了
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3月24日の昨日、上田市建設業協会のボランティア活動を行った。
窪田建設は、私と小山くんの2名が参加。
お陰さまで、千曲川も少し綺麗になったかな。
持ち込んだゴミ袋も全て使用し上田市のクリーンセンターに持ち込んだので、その日にゴミも処理済み。 参加された方々の熱い思いも感じることができた。
綺麗な上田市にするために微力ながら寄与できた満足。
機会があれば、また行いたい。
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