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■晴れて大学生に!そして最初にしたコト
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暗い暗い浪人生活。 自分は、学生ではない。 生徒でもない。 社会人でもない。 当時、フリーターもニートという存在は悪でしかなかった。 つまり、浪人生は認めれないような中途半端モノという存在としか感じなかった。 だれも攻めるわけではなく、自分で自分を落とし込むような感覚だったと思う。 しかし、そんな暮らしも後で考えると悪くは無かった。 というよりも以外に一番想い出に残っている。 食事は1週間交代で4人部屋の仲間と交互に行った。 私は、車の免許も所得していなかった。 だから、食材の買出しは歩き。 バスに乗っても良かったのだが当時はそのお金が惜しいと思っていた。 そんな暮らしだった。 オカマにも誘われた。 尻をなでられた。 飲めない酒も飲みに行って仲間は救急車で運ばれたこともあった。 深夜の●●映画も見に行った。 だから、初めてだらけのことをして心の隙間を埋めていた。 そうこうしているうちに再び受験。 そして、晴れて大学生になった。 私が最初にした行動は、軽音楽同好会を探したこと。 何よりも一番したかったこと。 それは、飢えていた音楽に溺れたいと思っていたことだった。 当時、レインボーバンドを作ることが何よりの望みだった。
なんと、軽音楽同好会には女性マンガに登場してくるような先輩がいた。 「おぉーーーーーーかっこいー」 ドラムの先輩は超やせていて顔もイケメン。 ギターの先輩はジェフベックみたいだった。 しかし、話は群馬弁で「だってべー」調。 群馬の付属高校出身者だった。 それ以外にも個性的な人たちばかりがいた。 そこで、「NOVELA(ノベラ)」というバンドを知った。 これが、初めての日本のプログレバンドとの出会いだった。 かなり衝撃的だった。 未だにファンが沢山いる。 その素晴らしさを体験して欲しい。
代表作であり名作に「レティシア」という楽曲がある。 これは、超大作であり素晴らしいドラマを感じた。 では、大学に入学するや否や軽音楽同好会に入ったキター小僧はどうなったか? 次回へ・・・・・・
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■浪人生は音楽は封印なのか??
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ところが、懲りない。 まったく。 そう。 まったくだ。 浪人生は寮に入った。 己をとことん陥れるため。 勿論、音楽なんてやれるはずが無い。 はずだった。 4人一部屋の寮に入った。 あまり気のあうようなタイプはいなかった。 しかし、他の部屋の鹿児島ヵら来た無骨な男はギター好きだった。 だが、まったくジャンルは違う。 彼は、「岡林信康」「小室 等」フアン。
アイドル系のフォークシンガーなど興味が無いというマニアック派。 でも、お互いの通じ合うものがある。 だから、夜な夜なギターを弾いていた。 彼は、家から持ってきた。 年季もの。 自分といえば持っていない。 ある部屋に置き去りにされたここにいた先輩のものが部屋の片隅に置いてあった。 それを愛用することにした。 安いと思われるようなギターだった。 でも、弾くたびに気に入っていった。 ある日の夜コンサートを内々で行った。 自分でつくった曲を。 そして、それがきっかけで仲良くなったのは、「三宅島出身」のガタイのいい素朴な青年だった。 純粋な彼は作詞をした。 そこに曲をつけた。 そんな曲が3曲くらいできた。 実は、なぜか毎晩「松山千春」のアルバムを聞いていた。 そんなテンションだったのだと思う。
浪人時代は、確かに暗かったが音楽が心の支えになっていった。 つまり、この時代はエレキギターでロックという世界から遠ざかった。 そして・・・・ギター小僧は・・・ どうなっていったのか・・・・・
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■ブリティシュ系から・・・
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キター小僧になりつつある中でKISSとの出会いは妙だった。 渋いブリティシュ系の音楽とは表裏の関係。 奥の深さなど議論することも無い。 歴史ある国の音楽は、表現のみのアメリカンロックとは比べ物にならないと思っていた。 日本人には、哀愁が少しあるような幾らハードでもメロディアスなところが無いとと思った。 この当時は、心からそう思っていたのだ。 毎日、毎日同じ曲をレコードが擦り切れるまで聴く。 何度聞いても飽きない。 そんな自分だった。 でも、偶然といおうかギター演奏が簡単そうなKISSとの出会いは、以外にそう偉そうにもいえないような感覚でもあった。 特に軽めで解りやすさは、同時に覚えやすいと同意語。 デトロイト・ロック・シティーだけではなくマイナー調のブラック・ダイヤモンドなども良かった。 更にバラードとしてベスだとかハードラック・ウーマンなど名曲も沢山ある。
今までブリティッシュロック以外はロックじゃないと思っていた。 でも、見た目は訳がわからないKISSでもサウンドはしっかりしていた。 演奏がブリティシュ系のバンドより旨いということではないが、音楽にも幅のあったバンドだった。 そんな彼らの曲は、何曲かコピーすることに成る。 そうこうしているうちに「F」が抑えられるようになっていた。 しかし、この当時ロックはかなりマニアックなジャンルだった。 日本では、フォーク全盛期か終盤を迎えて大盛り上がり。 更に外国のバンドといえば、ベイシティーローランズというアイドルバンド。 イギリス・スコットランド系でビートルズの再来といわれたバンドだった。 これが、女子をクギづけにしていた。
さすがにコレは受け入れることはできなかった。 やはり、一発や的に消滅した。 フォークソングは、かぐや姫、吉田拓郎、井上陽水、ガロ、岡林信康なども人気を呼んだ。
「僕の胸でお休み」「22歳の別れ」ご存知ですよね。 南こうせつ・伊勢正三の代表作をUPしておくました。 フォーク世代じゃない人も聞いてみてくださいね。 実は、こんな音楽も好きでした。 ギターもやりました。 旨くは無かったんですが、先輩が文化祭でLIVEをやっていてかっこよかったことを覚えてますね。 当時、付き合っていた子もフォークギターやってました。 なので作曲もやりました。 その後浪人。 大学受験失敗。 ギター小僧は、どうしたでしょうか?
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■実質上のキッカケは・・・?
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本を買った。 もちろんギターの本。 コードを覚えないと演奏にならない。 それを知った。 だが、リッチー・ブラックモアーというギターリストはコードを弾かないことも有名。 ハモったりもしない。 ギターを覚えるには、少々やっかいな存在だった。 そこで、友達が「KISS]というアメリカのバンドを紹介してくれた。 というより日本に来日しているという。 えっ?アメリカ? ブリテッシュが本場。 アメリカンロックなんて・・・・ 特にアメリカのビジュアルバンドはイギリスとは違いサウンドが軽い。 音楽の奥も浅いと感じていた。 しかし、解りやすい。 コードなどバンバン。 ソロは単純。 そこで、レコードジャケットを見ると・・・ 顔を塗りたくりコスチュームも宇宙人。 はっ?名にコレ?
しかも、ベースのジーン・シモンズは口から血を吐く。 何じゃ?? だが、聞いているうちに気に入ってきた。 そして、地獄の◎◎というタイトルの中に「デトロイトロックシティー」という曲が好きになった。 早速、練習しだした。 当時のパープルサウンドより関わり易かった。 そして、ギター小僧は段々ギターにはまってゆくのだった。
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■レッド・ツェッペリンの存在が・・・
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引き続きキター小僧の歩みをお伝えしてみたい。 その前にキッカケとなったディープパープルのハイウェイスターのライブを聞いて。 その中でギターソロ。 これは、ライブなのでハモリは無いので誤解しないように! でも、楽しんで! それにしても凄いはや弾き。 思い出すなぁー
その後にはまったのは、名曲「天国への階段」。 これは、レッド・ツェッペリンの大ヒット曲。 これもライブですが、お聞き下さい。 今は亡きドラマーのジョン・ボーナムのリズムワークも見逃せません。 ギターリストは、ご存知?ジミー・ペイジ。 ボーカルは、ロバート・プラント。 ベースとキーボードは、ジョン・ポール・ジョーンズ。 それにしても素晴らしい。 この二つのバンドこそが原点なのだ。
そかし、Fが押さえられないギター小僧は・・・その後、どうやってギターを弾けるようになっていったのか? それは、それは・・・・・次回につづく
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