窪田建設のヒデ社長-ここだけの話

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■良い家とは何か④

「間違った家づくり②」

~産業化が住宅産業の基盤を破壊した~

いきなり、大胆な日本の住宅政策にメスを入れてしまいました。
”2ちゃんねる的”と思われてしまったでしょうか?
しかし、客観的に歴史を振り返ることは今の時代だからこそ出来る冷静な視点です。
けっして傍観者ではありませんし、批判が目的ではありません。
ですから今回も少しだけお付き合いくださいね。

ご存知の通り、日本は製造業の国といえます。
つまり、素晴らしい精度とローコストで大量生産することが得意な国です。
しかし、住宅の性質や住宅に求めるものという観点からいうと「量」を求める手法でつくるべきものが「住まい」とは言えない気がしています。
戦後という特殊事情が生んだ苦肉の策が住宅の量を追求した政策だったといえるでしょう。

木曽檜の芽(天然の檜だけを木曽檜と呼ぶ)赤沢自然休養林より.jpg

なぜ、住宅を悪戯に産業化すべきではないといえるのか。
それは、産業化されたことである種、住宅を間違った方向に導いてしまったと考えているからです。

住宅は、「使うもの」ともいえますが、やはり「住むところ」と表現したほうが正しいですよね。
ところ”と表現するわけですから、人間が営む場所であり、環境のひとつを意味します。
生活基盤として生きる最も大切な場所です。
この環境が、安ければいいということでもないでしょうし。
また、傷つきにくかったり汚れにくかったりすることが重要でもありません。
ましてや、生産工場でもないわけですからスピーディーに暮らしを営める
高い利便性を必要以上に求めるところでもありません。
安心して、健全に暮らすことが出来る場所であって欲しいと願うはずです。

 


同じものを沢山つくり安くすることが最大で最終目的であれば産業化は大切なことです。
しかし、住むところをつくるには感性と人が生きていくために大切な要素が包含されていなければなりません。
もっと、もっと人のことを労わり、考え、工場生産に不向きな自然素材を多用する環境が重要なことなのです。

そういう意味で、少し違った道にそれてしまったと思っているのです。

ちなみに世界広しといえど住宅づくりを産業化した国が無いのも納得できるのではないでしょうか。
あの、合理主義や経済優先主義のアメリカでさえ住まいに対する考え方は日本のような報告には向かっていないですし、今後もその兆しはありません。
ましてや、精神的にも先進国といえるヨーロッパなどは「豊かさ」を大切にし重んじています。
その延長線上に自動車や家電と同じような土俵で住宅を捕らえていないのが良いお手本かもしれません。
つまり、世界共通の認識として『住まいは聖域だ』と考える認識があるからなのでしょう。

次回は、産業化の弊害である現代新築病などといわれる日本の住宅についてをお伝えします。


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■良い家とは何か③

間違った家づくり①

~住宅政策が生んだ弊害~

前回は、ビンテージハウス=古民家が持つ大きな魅力と価値についてお伝えしました。
今回からは、間違った家づくりについて触れていきたいと思います。
その整合性がわからないと感じられていますでしょうか?
次第にわかっていただけると思いますのでしばらくお付き合い下さい。

住宅政策の結果.jpg

住宅の量を求めなければならない事情が日本にはありました。
これが、他国に例のない日本固有の住宅建築政策といわざるを得ません。
つまり、戦後の焼け野原に大至急住宅を相当数作らなければならない事情が発生してしまったのです。
質より量が重要な時代だったのです。
勿論、この結果「内需拡大」「景気対策」「雇用対策」へと繋がっていったのですから結果オーライ!といえるでしょうか。
実は、この政策は2003年の「住宅基本法」が制定されるまで続いてきたのです。
その結果、住宅に対する価値意識が他国と比較して大幅に変わった感覚が生まれ育ってしまいました。
だからといってすべての住宅やすべての工務店、住宅会社が同じ認識で住宅をつくり続けたわけではありません。
疑問を感じに本の住宅政策に一石投じた人たちもいるのです。
そこが、救いといえるのかもしれません。

量は質を失ったのか?

そんなお叱りを頂くかもしれません。


これは、住んだ感じ方です。
価値感とは皆違います。
しかし、価値感とは時代や暮らしの変化で変わるものでもあります。
もう一度お伝えします。
「住宅基本法」を今更に国はなぜ制定しなければならなかったのでしょうか?
この問いは、大きな意味を持っています。
そして、大きくハンドルを切ったことを意味しています。
自由経済に任せていたのにも拘らずです。
それは、偏に”姉歯元一級建築士の構造偽装事件”が発端であり、”ヒューザー倒産劇”が
行き過ぎた振り子を戻そうという決定的な意思の表れなのだと思います。
「量」を否定し「質」を優先する正反対の政策を打ち上げたのですから。
お分かりになりましたでしょうか。
瑕疵担保10年間の義務化を強制したにも関わらず、法整備を怠ったのです。
会社が倒産すれば義務は泡と消えることを実証して見せたのがこの事件ですね。

あなたは、量から質の変換がなされている真意をどうおもわれたでしょうか?

次回は、「産業化と住宅」についてお伝えします。


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